「五輪塔の作り方」

五輪塔

はじめに

五輪塔は日本の石塔の中では一番多く作られ、いまだに作られる日本の石塔文化の代表のような仏塔になります。2010年は2つの手作り五輪塔を作る機会がありました。その一つが日本で最初の石塔の展覧会「日石展」です。これらをきっかけに日頃考えていた五輪塔や五輪塔の作り方についてまとめておこうと思います。

◎ 参考資料
ウェキペディアフリー百科事典五輪塔
このページは2007~8年ごろ、それまでの内容が貧弱で 私も編集していたページです。その後 他の方が編集されたようですが、私の書いた内容がまだ多くを占めているようです。写真もその殆どは私がアップした物です。読み返すと疑問も多いページになっておりますが、このホームページはアマチュアが書くことになっていますので、今となっては手を出さない方が良いように思っています。

2010年第1回日本石塔展覧会「日石展」提出コンセプトより

伝統という物は その様式は伝承されますが その意味まではなかなか伝わらないように思われます。現代のような合理化社会では 知性(知識)を優先し 良くわからない事を簡単に切り捨てる傾向があるように思われます。その結果、現代では 大切な意味を含む伝統を 意味がわからないということで 合理化のために簡単に切り捨ててしまっているように思います。
良いといわれる古い五輪塔を見ていても、職人の多くの技術が読み取れます。その多くが人の感性に関する部分だと思われます。しかし、現代では それらの伝統的な処理の意味がわからず、機械化や合理化のために多くの技術が捨てられているように思われます。
西洋合理主義では、その良くわからない人の感性についても 大切なものとしてよく分析されています。デザインという分野で ドイツのバゥ・ハウスでの研究が有名なところです。
良いといわれる五輪塔の作られ方を デザインという概念で分析し、感性に関する職人の技術の幾つかを顕にしてみたいと思います。

目次
○ 水輪の作り方

1-1.円と直線の接する部分は円が歪んで見えることがあります。
1-2.また、相対的な関係として 円に接する直線は歪んで見えることがあります。
2-1.横線に挟まれた円は少し下がって見えます。感覚的な補正が必要になります。
2-2.水輪を球としてみた場合 見る位置によって上下して見えます。
3.正方形という形は、実際には少し縦長に感じられるものです。
4-1.五輪塔を斜めから見ると地輪や火輪の幅がとても広く感じられます。
4-2.この補正を行うと 結果的には対角方向に幅の広がった四角っぽい円になります。

○ 水輪の作られかた

○「五輪塔の作り方」Web版編集後記

水輪の作り方

最近古い五輪塔流行で 見学会や資料の入手も多く、特に西大寺奥の院の叡尊塔を取り上げ、
水輪は真円で上下の取り付け部分の寸法は同じ方が良いと旋盤で水輪を作り五輪塔を組み上げ
首をかしげている方もおいでのように思われます。

水輪における視覚調整と錯視補正(錯視=目の錯覚、見間違い)

1-1.円と直線の接する部分は円が歪んで見えることがあります。

綺麗な円を描くにはその歪みの視覚的な修正(錯視の補正)が必要になります。

左図 真円です。
中央図 円は左図の円と同じものですが、直線(横線)の影響で縦長に歪んで見えます。
右図 五輪塔では上下の取り付け部分の巻き込みを調整して綺麗な円に見せます。

水輪の上下の巻き込みがとても綺麗な鎌倉極楽寺の忍性塔。この場合、錯視補正以上に 表現として巻き込みを誇張してあると思います。その結果とても厚みのある水輪になっていると思います。水輪に限らず全体的にとても厚みのある表現を実現し、とても存在感のある五輪塔になっていると思います。例えば、笠の木口の厚みが笠の反りに沿って笠の上まで感じられます。
空輪の張り、風輪の張りと開き具合、的確な地輪の大きさ比率、どれをとっても厚みを感じます。ただ、その厚みが全体的に重たくも感じます。

1-2.相対的な関係として円に接する直線は歪んで見えることがあります。


左図 円弧に接する直線が歪んで見えます。両端が逆方向に折れて見えます。
右図 補正です。直線の両端を上下に広げ滑らかに見せています。

実際に五輪塔を見ると、笠の下の部分に反りを持たせてあります。また、地輪の水輪と接する中央部分を上に膨らませてあったりします。

2-1.横線に挟まれた円は少し下がって見えます。感覚的な補正が必要になります。


左図 上下を線に挟まれた円を見ると、円が少し下がって見え 不自然な感じを受けます。
   補正が必要と思われます。
中央図、右図 円の位置を少しあげて安定感を出しています。

2-2.水輪を球としてみた場合 見る位置によって上下して見えます。


図の緑色の部分が 下から見上げた場合です。球の位置が少し上がって見えます。
図の黄色の部分が 上から見下げた場合です。球の位置が少し下がって見えます。


一般的には五輪塔の球の位置は上げ気味に作られます。しかし、基壇の上など人が見る位置より高い所に建てられたりすると見え方も変わってきます。立って見たりしゃがんで見たりしても見え方が変わります。また、遠くに離れれば高さの変化がそれほど感じなくなり 見え方が変わることも注意が必要です。
西大寺の叡尊塔は高い基壇の上に乗り 下から見上げるように作られており、一般的に多い水輪の位置を上げるということが他の五輪塔に比べあまり行われていないように思われます。
しかし、遠くから見てもバランスが崩れないのは、技術の高さを感じます。

3.正方形という形は、実際には少し縦長に感じられるものです。


左図 正方形に内接する真円です。正方形が少し縦長に感じられます。
   円も同じく縦長に感じられます。
右図 正方形の高さを減らし少し横長の四角にしてあります。安定感が感じられます。
   内接する円は少し上下につぶれていますが安定感が感じられます。

この処理も多くの五輪塔で見られます。表現として大きく上下につぶした物も多く見られます。

4-1.五輪塔を斜めから見ると地輪や火輪の幅がとても広く感じられます。


左図 円と上下の線画の幅が同じ場合です。円は真円です。
中央図 左図と同じ真円ですが上下の線の横幅が広がると円の幅が少し痩せて見えます。

右図 上下の線の横幅は中央図と同じですが、円の横幅を少し広げ、
   横線と相対的に見たとき左図の円と同じ程度の存在感を出しています。


4-2.この補正を行うと 結果的には対角方向に幅の広がった
    四角っぽい円になります。


右図 五輪塔を上から見た図です。地輪火輪を表す四角と、水輪を表す真円です。
中央図 四角の対角の方に幅を広げた円です。
左図 中央図の円です。円が対角の方に広がっているために四角っぽい円になっています。


この水輪の形は、一石五輪塔や、築地本願寺の有名な五輪塔にも見られます。
この処理を誇張すると、水輪の存在感の強さのみならず、五輪塔全体の存在感も同時に強調されていると思います。

水輪の作られ方

いくつかの水輪に見られる形の処理を 概念的に説明してみました。特に錯視(見間違い)の処理が細やかに行われていることが感じられます。その様式化と、その誇張による表現も感じられます。
もちろん水輪に限らず、各部分にこのような処理はされています。特に比較的形の複雑な火輪には多くの形の処理が見られるように思います。

こういう技術がどこから生まれたのか または伝わったのか とても興味を持つところです。
単純には 人の感性の結果生まれたと言えるのかも知れませんが、実際には 感性の結果生まれた技術が知性として様式化し 様式の伝承の中からまた新たな感性の問題で発展展開し、その伝承と発展展開の繰り返しの中から高度な技術として生まれてきたもののように思われます。

 しかし、確かに伝統の技術はすばらしいかも知れませんが それが知識としてのみ伝承され、本来それが求められた感性に関する問題を損なってしまうと、高度な技術は感じても 何か硬い感じの魅力の少ない仕事になっていくようにも思われます。なぜか痩せこけた印象を受けてしまいます。
様式に魅力を感じなくなった時、場合によっては様式を離れた方が 魅力的に思えることもあります。下膨れ五輪塔や宝塔風の五輪塔などに魅力を感じるのも、またはそれらが作りだされてきたのもそのためなのかも知れません。

現代は合理主義の崩壊の時代です。非合理性を振舞うのも現代の特徴かもしれません。それがオリジナリティーとして感じられることも多いと思います。しかし、表現が人目を引くインパクトの方にばかりに感じるのも最近の傾向であり、見苦しいものです。

最近、これも合理性に対しての反発かも知れませんが、侘びた表現を強く支持する声が良く聞かれます。「侘錆」といえば 日本人には古くから支持された感覚であり、日本の心のようにもいわれる感覚です。(実際に様式化の進んだのは江戸時代以降のようですが)しかし、「侘錆」には時間という概念が深く係わっていることも忘れてはいけません。石の寿命が数百年なら、その数百年の間 生き続ける普遍的な価値観も強く意識する必要があるように思います。「侘錆」の根底にあるのは「無常観」かも知れませんが、「人は絶えず未来を抱く、生きている間に対しても、死後に対しても」C.Gユングの民話の研究からの論文「個性化」を思い出します。


何を考え、何を作るのかということは難しいものです。私が何かを作っている時によく頭の中を過ぎる言葉をご紹介します。今は亡き私の師がニューヨークにいた頃の話だそうです。イサム・ノグチを訪ねたとき。「勉強していますか」「はい、今日も美術館に行きました。」「美術館に行っても仕方ないでしょう。博物館に行きなさい。」考え方によってはとても奥深いものがあるように思います。
四角っぽい水輪というのも、メキシコのオルメカっぽい表情を持っています。オルメカに限らず古代文明ではよく見かける表現のように思われます。骨太で存在感を強く感じる表現です。知性による概念より感性を強く感じる表現だと思います。

最後に、私も立ち上げに係わり、もう十数年続くワークショップ「石川の石を彫ろう!」の発表会「無名の彫刻家展」の感想として先日書いた原稿を載せておきます。10日間程度で、入場者1000名を越える展覧会です。

「人の大脳の記憶は その殆どが 遺伝的に引き継いできた記憶だそうです。記憶には五感から得た知識としての記憶と、肉体が覚えていく中脳から得られる記憶があるそうです。遺伝的記憶のうち、中脳からの肉体的記憶は 大脳の約50%を締めるそうです。知識として蓄えられた五感からの記憶は 約42%を締めるそうです。残りの約8%が 人が生きていく間の五感からと中脳からの記憶のための領域だそうです。(科学雑誌より、数値はうろ覚えですが)
 遺伝的に得られる記憶の中で、中脳からの記憶のその殆どは動物的に生命が存在するための情報のようです。五感からの記憶には何が入っているのでしょう。
 現代人は知性に優れ、それが人の証のように生きてきました。しかし その記憶は脳細胞のほんの一部でしかありません。また その保存された記憶も 人の記憶の仕組みとして殆ど忘れられてしまい 意識の中で情報として必要とされる時に ほんの一部を思い出すという形でしか使わないようです。
 手で物を作り出す時、そのなんともいえない温かさは何でしょう。引き込まれるような魅力は何でしょう。太古の昔から引き継ぐ記憶と 遠い昔に忘れてしまった記憶が 人の心を揺り動かしているのかも知れません。
1998年頃「石川の石の川の石」 手取川の河原(石川)にてインスタレーション 無名の彫刻家展を観る時、いつもこの心の揺らぎに魅力を感じます。意識の中のほんの小さな知識に武装されたプロといわれる人の仕事にはなかなか見出せない とても温かい空間です。「石川の石を彫ろう!」も もう十数年。この心地よい空間がいつまでも続くことを祈りたいものです。」

以上、五輪塔を作りながら考えていたことより、

「知性は 合理性を求め、 感性は 神秘性を求める。」
現在検証中の言葉 中川

「五輪塔の作り方」Web版編集後記

以下の文章はWeb版作成に追加したものです。

「五輪塔作り方」の提出後「昔の石工もこのように考えたのか」と聞かれたことがありました。
確かにこのようにすっきりとはいかないかも知れません。あくまで西洋合理主義の中で生まれたデザインという概念の元に分析しています。

しかし、デザイン的解釈と言っても 元は人の感覚的なものを人の感性として分かり易すくまとめたに過ぎません。本来、長い年月と手探りの中で 何が良いか経験として積み上げてきたことを 合理的に扱うために 分析、集積しただけと思います。
合理性を求めた近現代では、よくわからないことが安易に切り捨てられてきたと思います。よくわからない感覚的なことも 西洋では歴史や文化として現代の知識として残すために デザインという合理的な解釈をすることが必要だったのだろう思います。

しかし、デザイン的に解釈できる加工が五輪塔の中に数多く見られるのは脅威だと思います。当時のとても高い技術を感じることができます。
また、その加工方法の多くが伝統の技術として つい最近まで受け継がれているのも脅威に思います。
それが現代の機械化、合理化の中でよくわからないと簡単に切り捨てられているのは残念です。

デザイン的には簡単に解釈できないこともあります。例えば水輪の張りです。ある程度デザイン的に解釈もできますが、どちらかというと造形的、芸術的解釈にまで視野を広げないと説明できないように思われました。2mmで表情の変わる世界です。
特に、作った職人の技術力を見るには、水輪の張りを見ればすぐわかります。
この部分については本文Web作成時に、慎重に分析してみたいと思います。

また今回は、表現については殆ど振れていません。お墓に何を求めているのか、心の休まる形とは何なのか、本当はこの表現の方法の方がお墓を作るには大切なのかも知れません。
私の作った五輪塔のコンセプトには「Kawaii」を明記してあります。いまや世界で通用する日本語の「可愛い」を五輪塔の表現として求めてあります。

職人の間に「技は教えられるのではなく、盗むものだ」という言葉があります。
興味深い言葉です。
私には「感じられない者に 言葉で教えてもわからない」と言っているように聞こえます。
職人とは何かということを よく考えて見たいものです。
感覚的な手作りの世界にしろ、合理的な世界にしろ、時代を超えてインスピレーションの中で生きてきた職人達が 私には目に浮かびます。

2010年11月29日 中川 洋