「会社概要」

はじめに

石は地球の記憶 石の中川

もうすぐ創業120周年になる中川石材は、石川県の語源になった石の川原・手取川のほとりに広がる能美市の一角、徳山町に創業明治28年より代々石材製品を創り続ける石工職人です。
1500年前からの古墳が点在するこの地には、古くから多くの職人や技術者がいたと思われます。江戸時代には、加賀藩の文化政策もあり物作り文化のレベルの高い地域だったと思われます。九谷焼で有名な寺井町も同市内すぐ近くにあり、この地域は今でも多くの職人や技術者が住んでいる文化的に物作り的に特殊な地域であると思われます。
(能美市美術作家協会の総会には2年続けて元総理が後ろに座っていました。)

創業明治28年

中川家の本家は 江戸時代に弓矢の矢に使う竹を加賀藩に納めていたと聞きます。明治時代には彩色した土人形(素焼きの人形)を作っていたようです。明治28年 分家した中川石材初代中川仁太は このあたりで古くから採れる凝灰岩を採掘していたそうです。このあたりの凝灰岩は古くは古墳の石室の材料として使われています。

昭和11年家業を継いだ中川石材二代目中川一雄は 石の彫刻で有名になり「福井県の大野伝七か 加賀の中川一雄か」といわれたそうです。今でも加賀市あたりまでその彫り物が多く残っています。お墓では大きな手作りの兵隊のお墓が数多く残っています。その他に石蔵や鳥居など数多くの仕事を手がけていたようです。その頃 中川家本家の陶芸家答山は京都で修行し鬼瓦の職人として名声をはせていました。一雄と答山は良きライバル従兄弟同士だったそうです。

昭和28年家業を継ぐ中川石材三代目中川三郎も神社への奉納品や石蔵の彫り物を中心に石の彫刻家として活躍していました。その彫り物は各業者の発注により県内外各所に残っています。長男は家を継がず上京し 上野の美術学校(今の東京芸大)を経て著名な馬の絵の大家となっております。中央アジアでの研究が認められ現在ロシア芸術アカデミー会員です。

2008年より家業は中川石材四代目中川洋が引き継ぎ、石材の特殊加工と特殊設計を得意とする石屋として営業しており 皆様に好評を得ています。また 中川洋は国内外で彫刻家としても活動しています。

現在、四代目中川石材の営業内容

● 墓石の小売販売が3分の1
● モニュメント、環境彫刻、オブジェなどの設計施工や建築関係、インテリア関係の設計施工、
  得意とする龍や蛙など各種彫り物の製作や販売が3分の1
● 他社受注のお墓や石工事の設計施工、蓮華などお墓の特殊加工が3分の1

最近では、2007年能登地震復旧事業、2007年~2010年金沢城河北門石垣工事施工管理請負、河北門建築石材工事請負、河北門総石工事技術責任者(ボランティア)、鯉喉櫓(りこやぐら)石垣施工図、遺構分析作業などに従事しておりました。

以上、我社は感覚と感性を伴う造形的な仕事、高度な技術と知識を伴う石工事、多くの人と係わりの多い心理的な仕事を得意としております。

最近は輸入販売が主流の墓石業界ですが、国産御影を主体に自社製の墓石、特に自作蓮華や各種特殊加工、付属品の自作、その他お客様の要望を最大限に生かした墓所の設計施工に力を入れて毎日仕事をしています。オリジナル墓石や記念碑、オリジナル小物などの設計・製作・施工にも力を入れています。

中国製品も扱っておりますが、「安い物は安く よい物は国産や自社製を」のコンセプトを持って営業しております。

また、我社は日本で唯一業界の代表として2001年に誕生した日本石材産業協会(※)に所属し、石の有り方使い方について日夜研究しております。2007年には総会において能登地震の被害状況報告、2008年には耐震構造についてのワークショップ講師をしております。
※ 日本石材産業協会ホームページはこちらです。

石の事なら中川石材。これからもなにとぞよろしくお願いします。中川洋。

1級技能士(張り石、加工、石積み3件取得) / お墓ディレクター1級
造園施工管理技術士2級 / あと施工アンカー1級 その他
日本石材産業協会会員 / 石川県石材組合連合会会員 / 能美市石材組合会会員
自由美術協会立体部会員 / 石川県美術文化協会会員 / 能美市美術作家協会会員



石の河原 手取川



左/仁王像  右/鳥居の額縁 共に二代目一雄作



五重の塔 二代目一雄作



左/彫刻部分の制作は三代目 右/磨き部分の制作は四代目

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〒923-1222 石川県能美市徳山町185
中川石材 代表/中川洋
TEL&FAX 0761-51-4602
E-Mail:nakagawa@sekicho.com